2011年4月22日金曜日

自然と都市

 展示会までの時間が迫ってきたので、グリッドフレームの田中、久保氏、AS-planの渡邊氏と会合を持つ。
 少し遠慮を取り払いつつと云ったところだろうか。なにしろ、やるべきことはやらないとならないし。

 都市と田舎(自然)について少し話をする。
 東京駅の前に、グリッドフレームによる空間を出現させるということの、根本的な意味だろう。

 私は山の中に住んでいるが、一番注意しているのは都市の消費的な価値観で自然を見ないことだ。
 積雪、崖崩れ、吹き荒れる風、そうした事どもに恐れつつ、敏感に反応して暮らすことが、奥多摩に住む価値なのだ。東京という自由空間へは3時間というフィルターを通過してでかける。
 もちろん厳しい自然は、美しく、豊かな自然をも与えてくれる。しかし、それは一瞬のことなのだ。

 田舎の地域社会は安定的で束縛の強い社会だ。
 それに反して、町や都会は自由を謳歌する空間であったはずだ。
 しかし、貨幣(マネー)がそもそも自由のための道具であったにも関わらずに、人を束縛する道具に成り果てていることと同じように、合理化、効率化されることで、都市もまた自由空間であることを失っている。

 場は呪術者によって再生されなければならず、社会もまた再生されねばならない。そうした呪術者を芸術家と呼ぶ。

2011年4月17日日曜日