2011年7月4日月曜日

6月26日の会場設営と搬入風景


会期間際になってどんどんスケジュールが立て込んでしまい、このブログに描くことができなくなってしまいました。事後報告ですが、6月26日の一日を写真で追ってみます。


グリッドフレームのスタッフ達によって手際よく会場の設営が行われて行きます。


予定を大分早めて会場の設営は終了。さすがにプロの力だと感心。グリッドフレームスタッフ達との記念撮影。


途中ユーストリーム放映を行いました。増山氏が機材を持ち込んでくれて、奮闘。現在も「DONGEAN」でユーストリーム内で検索頂ければ、この時の映像を見る事ができます。




会場の展示が終わったのは7時前でした。グリッドフレーム田中氏も残って展示設営をしていただきました。八重洲ブックセンター川原氏も加わって記念撮影。



 完成した会場風景を見ていただきます。





2011年6月23日木曜日

読売新聞で報道されました

読売新聞の6月22日都内23区版に今回の展覧会の記事を載せていただきました。
ネットのほうが見やすいので、URLを添付します。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tokyo23/news/20110622-OYT8T00080.htm

2011年6月20日月曜日

会場チェック

 6月19日に会場設営に当たる田中氏以下のグリッドフレームのスタッフ達が会場チェック。ユーストリーム放送に当たる増山氏、AS-plan渡邊嬢が試験放送を終えました。

20日には海野がグリッドフレームの設計図を見ながら会場チェックを終えました。

いよいよ最終段階です。

2011年6月12日日曜日

ユーストリーム

増山氏の尽力でユーストリームの番組がいよいよ形として現れてきました。
覗いてみてください。6月26日の放送もお楽しみに。

http://www.ustream.tv/channel/%E6%B0%B4%E5%A2%A8%E6%80%9D%E6%83%B3-2011

実は、私はまだ全体を良く理解していないのですが、ほかの人の手を通して、違った面が見えてくるのが面白いです。

2011年6月1日水曜日

自然の美しさについて

海野次郎さんは、奥多摩に暮らしている。海野さんは、奥多摩の自然を描く。だが、自然は美しいというより、いまわしく恐しいものだ、と語る。

自然の中で暮らす、とはこういうことだ。自然は風景として眺めていればよいものではない。自然とは闘う相手なのだ。

自然が美しいのは一瞬だ、と海野さんは語る。その自然を描く。

奥多摩へ絵を描きに出かける人と根本的に違うのは、この時間性ではないだろうか。観照としてではなく、実践的に関わりを持つことによってしか、この一瞬には出会えない、ということではないだろうか。

そのようにして見い出す美は、文人画家の描く美とは異質なのだろう。おそらくは、宮本武蔵のような武芸者の描く美に近いのではないか。


私は20代の頃、ヨーロッパを数百キロ歩いて旅をした。歩いて旅をすることによって、道端で出会う雑草までもをじっくりと見つめることができるのではないか、と考えたからだ。

しかし、目的はすぐに「明るいうちに次の町へたどり着くこと」にすり替わって、足元へ目線を落とすことすらためらわれるようになった。

歩き終えて、急行列車に乗り、窓から眺めを見たときに初めて、飛んでいく木々の一本一本を見逃すまいとしている自分に気づいた。

愚かな話である。だが、この経験は、自然を美しいと思うのは、自然と直接に関わりを持たないからだ、ということを教えてくれた。


海野さんの水墨画にある、自然の美しさは、上の話とは全く別のものである。それは、生きるために「必要」なものの持つ美しさではないだろうか。

2011年5月23日月曜日

ぎっくり腰

昨夜、ユーストリームを技術的にサポートしてくれることになった増山氏が、試験的に放送を流してくれていた。さすがにしっかりしている。

額工房Art Willからは、張り込みようのパネルの用意が出来たと。表具師・向南堂からは、屏風ができ上がったと連絡も来た。

AS-planの集まりも有った。

多くの人の協力で、いよいよ展示会の形が姿を現してきているのだが、こちらはまだ絵の最終的な構成が見えていない。

だというのに一週間ほど前にぎっくり腰をやってしまい、今日やっと画室に上がる事ができたところだ。こんなことやっている場合ではないのに。

2011年5月16日月曜日

ニュースリリース

ニュースリリース発表です。


いろいろのやり取りがあり、難航しましたが、やっとニュースリリースの発表です。

文字にする事で、改めていろいろの問題を詰めることになったのは大事な経験です。

つい、こういうことは等閑にしやすい私としては特に。

2011年4月22日金曜日

自然と都市

 展示会までの時間が迫ってきたので、グリッドフレームの田中、久保氏、AS-planの渡邊氏と会合を持つ。
 少し遠慮を取り払いつつと云ったところだろうか。なにしろ、やるべきことはやらないとならないし。

 都市と田舎(自然)について少し話をする。
 東京駅の前に、グリッドフレームによる空間を出現させるということの、根本的な意味だろう。

 私は山の中に住んでいるが、一番注意しているのは都市の消費的な価値観で自然を見ないことだ。
 積雪、崖崩れ、吹き荒れる風、そうした事どもに恐れつつ、敏感に反応して暮らすことが、奥多摩に住む価値なのだ。東京という自由空間へは3時間というフィルターを通過してでかける。
 もちろん厳しい自然は、美しく、豊かな自然をも与えてくれる。しかし、それは一瞬のことなのだ。

 田舎の地域社会は安定的で束縛の強い社会だ。
 それに反して、町や都会は自由を謳歌する空間であったはずだ。
 しかし、貨幣(マネー)がそもそも自由のための道具であったにも関わらずに、人を束縛する道具に成り果てていることと同じように、合理化、効率化されることで、都市もまた自由空間であることを失っている。

 場は呪術者によって再生されなければならず、社会もまた再生されねばならない。そうした呪術者を芸術家と呼ぶ。

2011年4月17日日曜日

2011年4月11日月曜日

案内状を入稿しました

 永らくこのブログの更新を中断していました。
東日本の大震災とそれに続く余波の中で、いろいろのことを考えていました。平静であろうと思ってはいても、心の深いところで大きな衝撃を受けていることがわかります。

今できることは、事態に対応しながらも、たんたんと与えられた仕事を進めて行くことだろうと言い聞かせています。
大切なのは、人間として生きることなのだと思うのです。

今日、案内状の入稿をしました。

2011年3月7日月曜日

課題について

ご感想、ありがとうございます。

確かに、絵の裏側については意識しなければなりませんね。額など、どのようなものをお考えなのか、をうかがって、お互いに意見を出し合って発展させていくのがよいと思います。

また、窓際の展示については、現場でなくとも実験は可能なので、早いうちにやってみたいと思います。今日みたいな雪の日は、窓際の展示もよいものでしょうが・・・。展示のころは梅雨の時期ですね。快晴を想定して、実験を進めます。

2011年3月5日土曜日

会場デザイン いいですね

 アイディア気に入りました。本の結界というのは面白いですね。
 スッキリとしたデザインなので、ちょっと驚いています。どちらかというと、グリッドフレームのデザインは物量感で迫っているように思えたからです。楽しみです。
 会場の形が見えてきた事で、こちらの制作も刺激を受けます。

 ちょっと気になる点を幾つか挙げておきます。
 書店側ガラス壁(本が並んでいるのだが)を通して中を見た時に、絵画のパネルの後ろ面を見せる事になりますね。
 となると、このパネルの背面処理について考えておく必要があるという事ですね。

 それから、外壁ガラス面に絵を並べた時、逆光になって絵が見えないという事はないでしょうか?(照明でカバーするとの計画のようですが) 
 この2点が気になっています。


 絵画見本を届けると約束しながら、実現できないでいます。思いの外に難航しています。
 このブログに挙げたのはアイディアの段階の物だったのですが、実際に作品に入ると二転三転して、思わぬ方向へすすんでしまい、正直何がなんだか分からない状態で、方向性を見失っています。
 なんとか、近日中に一点でも作品をお見せできるようにと頑張っております。ので、今暫くお待ちください。

2011年3月4日金曜日

展示空間のアイディア

「巨大な本の森の中をかき分けて進んだ中に、ポッカリと開いた空間」
本屋の売り場を森と感じていただくためには、売り場と展示空間の境界のガラス面に棚をつくり、イメージ図左側のように本をならべます。このような並べ方であれば、私たちで持ち寄っても十分な量を集めることができると思います。
本の森を抜けて、ポッカリと開いた空間には、神聖な場としての「山水」が配置されます。「山水」の展示は、展示会場の左側にに配置され、ゆったりと天井から下げられます。縦140センチ×横280センチの大作は、空間に入って正面の壁の前に飾られます。どの絵も、天井から下げるためには、壁際のピクチャーレールと照明の配線ダクトを併用します。
そして、展示会場を縦にカーブを描いて、鉄柱が連続するのは、木立と見立てています。この木立が、展示空間の中にさらに結界をなすものと考えます。それは、自然を受容する神聖な場から、東京のビル群を高みから見下ろしつつ、会話をするもうひとつの神聖な場への結界といってよいでしょうか。
鉄柱は幾何学的に計算されて並び、傾いているために、それぞれの間はある方向からしか通り抜けられません。3つの間隔毎に、立木仏としての、「裸婦」の作品群が天井から下げられます。
「裸婦」は、遠景としては木立に遮られて、全容を見ることができません。近くに寄って、初めて鑑賞することができる配置になっています。
木立の結界を抜けて、空へつながる窓辺へ出ると、テーブルを囲んで会話をするスペースがあります。窓辺に「花鳥」の作品群が並びます。
それぞれの作品には、スポットライトが当てられて、外からの光によって画面が遮られることのないようにします。(外窓面は概ね北向きにあるので、直射日光が絵に当たる可能性はほとんどないと思われます。周囲のビル外壁に反射した光が入らない限り。)
アイディアは以上です。
すっきりとしていて、会場全体が、和を感じさせるような構成になればよいと考えています。
(なお、会場の平面図を取り寄せることは可能でしょうか。できれば、照明の配線ダクトも図の中にあればありがたいです。)

展示空間


長らくお待たせいたしました。展示空間のイメージ1です。
説明は今晩詳しく書きますが、海野さんの「結界」というコンセプトを、私たちなりに空間化したものです。

2011年2月10日木曜日

画家海野次郎―その人となり

半プロフィール
画家海野次郎の絵に出会ったのは、2005年の三鷹の画廊での個展でした。学窓のネットワークから案内があり出かけました。驚いたのは、水墨画がいわゆるイメージした水墨画とは違っていたことでした。この線はなんだろう、と思うくらいのインパクトと抽象で迫ってくる水墨の世界はなんともいえず、考えてしまうほどでした。
「間」なのかと思いを回らしながら。
海野次郎画塾に通うこと5年、「じぶつ」を見ながら水墨画を描いてみると、「間」は絵の構図の中の余白ではなく、その物との「間」であったりもします。と私なりの、思いです。描いていると頭で考えていたのとは違う変化に気がつくのです。
画塾では、茗荷、殻つきピーナッツ、流木、石、野のゆり、秋草、すすき、鯛、柳かれい、干し柿など、モチーフは多様ですが、ユニークです。それぞれと対話があるのです。
敢えて、ここで、山水、裸婦が中心にあるというのは、「人間とは、何なのか」という問いかけをしながら、常に自然や人との対話が彼の中に存在しているのではないだろうかと思います。根源的な問いなのではないだろうかと思うのです。

2011年2月9日水曜日

神庭・御嶽(うたぎ)としてのギャラリー



八重洲ブックセンターのなかのギャラリーを下見した際、Kさんがパネルの後ろや荷物の中をかき分けて全体像を探っていましたよね。あの時あそこの場所は結界だと思ったのです。森の中の結界です。

巨大な本の森の中をかき分けて進んだ中に、ポッカリと開いた空間。神庭、御嶽、あの内外のガラス面は結界を形取っていると思ったのです。
東京という都市の中の結界です。

立ち木仏というのを知っていますか? 江戸時代の円空仏やその祖形と考えられる奈良時代の行基に関連しての仏像が知られています。それは自然に立っている樹木の中に仏を見るという行法とも考えられます。

裸婦像はそうした立ち木仏として、結界の周りに立つべきではないか?
その奥に御嶽のイビ石や依り代としての岩のように山水図を持ってこれないかと考えています。

山水図には画面の中に「間」があるのでこれを「間」的に処理する必要はないかもしれません。
一方、裸婦図には「間」が意識されていませんので、逆に空間的な「間」を設定する必要があるのではないかと考えています。

花鳥図はブッシュです。まぁ、この中で休んでお話でもしましょう。

などと、かってにイメージしていますが、いかがでしょかね?

2011年2月8日火曜日

山水と裸婦

展示の空間を考えるにあたって、それぞれの絵画がその周囲に何を求めるか、を問いかけることが重要なのかな、と思います。画面の中の「間」を感じ取ることによって、外に必要な「間」を生み出していくことが私のやるべきことでしょうか。

山水については、絵画自体に様々な「間」が存在することは明らかだと思うのですが、紙のほぼ中央に描かれる、裸婦については、どのように「間」を捉えるべきか、考えています。

縦長の媒体に描かれていることを考えると、作品=人間と考えて、会場を歩いていただくように配置するのがよいのでしょうか。

山水は山=鉛直ライン、水=水平ラインが組み合わさることによって、海野さんの内面の風景が示される、建築図面でいえば「断面図section」の役割を担うものかもしれません。

切り取った断面ですから、切り取り線を少しずらすことによって異なった様相を呈します。それらをレイヤーをなすように平行に配置し、積分すると全体を捉えることができる、という考えに基づいて展示空間をつくることもイメージできます。

単純にイメージすると、山水と裸婦は対称をなすように存在しますが、そこに花鳥がどのように入り込んでくるのか、楽しみです。

2011年2月6日日曜日

山水シリーズ

墨を摺り始めました。手を動かすと、とたんにいろいろと動き出しますね。

今回展示したいと思っている絵画ですが、まずは私の絵画のだいたいのところを見てください。

せせらぎの里美術館 会場風景


次に、昨年やってみて、そこで止まってしまった山水画を見てください。

ギャラリー門 会場風景

これの、もっと大きな物を描きたかったのですが、これでは駄目だったのです。


そこで、今考えているところを、デッサン段階ですがお見せします。
縦140センチのつもりです。とすると、横が280センチくらいになりますね。これが一番大きな作品に成ると思います。

1/16サイズなのでこのままというのではありませんし、描いているうちに変わって来ると思います。

本当は、もっと長くしたいのですが、いまのところ描く場所がないのであります。


後は、全紙の70×140センチの山水画が幾つか加わる予定です。

ただし、まだ計画段階です。取り敢えずの構想です。

2011年2月2日水曜日

裸婦のシリーズについて


わたしの作品は大きく分けて、1.山水 2.裸婦 3.花鳥 から成っています。
今回もこのシリーズで行くつもりです。
まず裸婦のシリーズについて、昨年と一昨年の作品を二点載せておきます。







この二点から次の展開を探って試作をしています。これを公開するのはちょっと嫌なのですが、まぁ仕方ない。見せてしまいましょう。




分裂しているのが分かるでしょ?
それぞれに、試作の意味があるのですが、詳しくは書かないでおきます。
一番上は長辺が140センチほどです。
一番下は作品に仕上げるつもりですが、この傾向には発展しません。これはどちらかというと、絵の具の使い方を試したものです。

今の感じからすると、一番上が近い気がします。色彩を入れようと思っています。

裸婦シリーズは「人間というのは何なのか?」というテーマでやっています。それで、結構変化があるのです。

山水については、後日アップしますが、こちらはもっと形になっていません。
早く見えて来ると良いのですが、まだ時間がかかりそうです。


田中様

コメントでは隠れてしまうので、コメントを載せてみました。以下です。
きっと長いドライブでしたでしょう。東京の西端、車窓からみえる風景は渓谷と山の景色に変わっていって、行けども行けども見つからない赤い橋だったのでしょうか。「妻の横顔」という表現に想像力が働きます。綺麗な景色とマッチして、ある、映画のシーンのようですね。そんな素敵な空間をお持ちの田中さんとのお仕事を充実させていきたいと思いました。W

明確な展示予定作品を示せないのですが

 そうですね、こちらの作品が分からないと困ると思うので、物を見てもらわないといけませんね。

 しかし、まだ動いているので、明確な形を示すことができないのが実情です。テーマ、技法が確定していません。さらに、習熟をしないとならないので、正直今は混乱状態です。
 これじゃ、何も決まっていないと同じですね。

 とはいえ、今までの延長であることは確かなので、それと試作段階の物を見てもらうことにします。

 ただ、これが予断となってしまうと困るので、裏切られることも頭に入れておいてくださいね。明確な形になるのは、もう少し先のことです。
 準備に1.2日下さい。

2011年2月1日火曜日

海野次郎さまへ

会場と会期が決定したということで、いよいよですね。

私の方は、少しずつ頭の中にあるものが像を結び始めた感じです。

そこで、次のステップとして、海野さんの水墨画の画像を何枚かこのブログに提示していただいて、それらのための展示空間のイメージを、数日後に載せたいと思っています

そのイメージをたたき台として、どんどん意見しあいながら、詰めていければ楽しいと思います。

このような進め方はいかがでしょうか。それでは、よろしくお願いいたします。

海野次郎さんと奥多摩

正月に海野さんのお宅を訪ねた。一昨年に一度、作品を拝見しに訪れている。

意図的というわけでもないが、住所も電話番号も持たずに車を走らせた。一昨年の記憶が頼りだ。

憶えているのは、赤い橋のたもとの坂道を上った左側にある、そのイメージだけ。それでどうしても見つからなかったら、「海野さんのお宅はどちらでしょうか」と地元の人に尋ねればきっとたどりつけるだろう、と。

探す楽しみ半分、不安半分。私がこの状態をきらいではないのが、同乗している妻にはたいそう迷惑なことはわかっている。

だが、そんなこととは関係なく、奥多摩の地形は、地図としてではなく、見たままの風景として私の頭にインプットされていく。

私にとって、「海野次郎さん=奥多摩」であるから、奥多摩のイメージを構築することは海野さんの世界のイメージを構築するためにかかせない。そのイメージは、俯瞰ではなく、道のレベルからつくられるべきだ。


東京都心の風景には山がない。都心で生活を始めて、かれこれ20年になるが、九州で山を見ながら育った私には、未だに多少の違和感が残っている。鉛直方向に立ちあがる山に囲まれて育った者たちは、山によって「守られる」感覚を共有しているのではないだろうか。山は、自分という人間を取り囲む被膜のようである。そんな人間が山の見えない平野で生活していると、守られる世界から放り出された感覚を持ち続けるのだろう。

奥多摩は天空が山と山とに狭められている。だからこそ、奥多摩湖というダム湖ができる。そのほとりという鉛直方向と水平方向との交点に位置する海野さんのお宅兼アトリエ「曇崋庵」で生み出される水墨画。

私は、そこに「守られる」感覚を見出し、ほっとする。そして、ようやく辿り着いたことにほっとして、横にいる妻の顔をうかがう。

2011年1月31日月曜日

会場および会期

会場と会期のお知らせです。

2011年6月27日(月)〜7月3日(日)
八重洲ブックセンター 8F 

作品はまだできていません。とりあえず試作段階。
イメージを確かめながら、技術的な方法の確認作業です。
こんな調子で間に合うのかと考えると怖いので、忘れるようにしています。

2011年1月28日金曜日

会場・会期の決定が出せない

 この企画にまだ会場と会期が明記されていないのに気がついているでしょうか。
会場責任者と話をして、すぐにOKの連絡を入れてくれる事になっていたので、その段階で明記しようと思っていました。
 そのつもりで企画をスタートさせましたが、昨日になって、いまだに会場のOKの出ていないとの報告を受けました。

 会場管理者がトラブルや仕事負担を恐れているのか、組織として何か問題があるのかといろいろ憶測はしますが、理由がはっきりとしません。
 しかし、関わる総ての人の納得がなければ企画は成功しません。

 最悪の事態を想定。企画の中止の可能性も含めて早急になんとか目処をつけてくれと、企画担当者に電話しながら、自分でも苛ついているなぁと自覚していました。
 動き始めてしまった企画の変更は、あちこちに迷惑をかける事になります。ならば、傷の深くならないうちに判断をしなければなりません。

 なにしろ、関わりの無い未知の者たちが企画を立てていますから、会場側が躊躇するのも分からないでもないのですが、いやはや、だからこそ意味のある事なんだとは思うのであります。

2011年1月21日金曜日

「芸術」覚書

「芸術」とは何だろうという問いが、時々よみがえる。

それが明治時代の西欧文化移入期に、artに対応してつくられた造語だとしても、現実には、それ以前の書画・芸能の世界を踏まえて理解するのが、わたしたち日本人の感覚だろう。

例を挙げれば、書は当初は芸術の分野に入れられていなかったのが、その後の運動で組み入れられるようになった。しかし今でもその扱いは曖昧だ。だが少し考えてみれば、書を外しての日本絵画史はありえない。

その昔は芸術は武術を意味した事もある。artの概念からは外れるかもしれないが、我々の感覚にそれを首肯する物があるのは、日本という国の文化のありようから来るのだろう。剣術家の宮本武蔵が描いた水墨画が、国宝に指定されているのは、必然的な事であるのだ。

そうした感覚を持っていると、外国のさまざまなartを楽しみ影響を受けたとしても、芸術を簡単に西欧のart概念に合わせようという気にはなれない。むしろ、art=芸術という立前をはずして、書画・歌舞音曲・芸能・武術にまで及ぶ、こうした範囲の事ごとに共通する何かを、芸術と考えるのが妥当なような気がする。

2011年1月18日火曜日

はじめに

この企画は単純に表から眺めると、「海野次郎絵画展」という事になっています。
しかし、企てはもう少し複雑ではあります。



1、場所と時間を共有する。

この絵画展が既成の画廊や美術館を会場に選ばなかったのは、東京という都市の中に、空間と時間を自ら選択して結界を結びたかったからです。
この人々の力によって立ち上がった場と時間を共有する事で、私は芸術と人々の結びつきを探ろうとしています。
企画協力をしてくれている(一般社団)美術と地域づくりの会、会場創造を試みる(株)GRIDFRAME、それに会場を訪れる事になる人々との間で、創造体験が生まれる事を画策しています。


2、私が展示したいもの

わたしが呈示しようとするのは、日本美術史を踏まえた現代の絵画です。特に「間」と呼ばれる意識を中心にしています。
美を巡る概念ではなく、身体技としての「術」を「芸」として展開したいと思っています。


当ブログは、この無謀な企画の場と時間を拡大するため立ち上げられています。
さまざまな試みや、思考を呈示しながら、企画の進行を楽しんでいただきたいと思っています。また皆様の参加コメントも歓迎します。