2011年3月5日土曜日

会場デザイン いいですね

 アイディア気に入りました。本の結界というのは面白いですね。
 スッキリとしたデザインなので、ちょっと驚いています。どちらかというと、グリッドフレームのデザインは物量感で迫っているように思えたからです。楽しみです。
 会場の形が見えてきた事で、こちらの制作も刺激を受けます。

 ちょっと気になる点を幾つか挙げておきます。
 書店側ガラス壁(本が並んでいるのだが)を通して中を見た時に、絵画のパネルの後ろ面を見せる事になりますね。
 となると、このパネルの背面処理について考えておく必要があるという事ですね。

 それから、外壁ガラス面に絵を並べた時、逆光になって絵が見えないという事はないでしょうか?(照明でカバーするとの計画のようですが) 
 この2点が気になっています。


 絵画見本を届けると約束しながら、実現できないでいます。思いの外に難航しています。
 このブログに挙げたのはアイディアの段階の物だったのですが、実際に作品に入ると二転三転して、思わぬ方向へすすんでしまい、正直何がなんだか分からない状態で、方向性を見失っています。
 なんとか、近日中に一点でも作品をお見せできるようにと頑張っております。ので、今暫くお待ちください。

2011年3月4日金曜日

展示空間のアイディア

「巨大な本の森の中をかき分けて進んだ中に、ポッカリと開いた空間」
本屋の売り場を森と感じていただくためには、売り場と展示空間の境界のガラス面に棚をつくり、イメージ図左側のように本をならべます。このような並べ方であれば、私たちで持ち寄っても十分な量を集めることができると思います。
本の森を抜けて、ポッカリと開いた空間には、神聖な場としての「山水」が配置されます。「山水」の展示は、展示会場の左側にに配置され、ゆったりと天井から下げられます。縦140センチ×横280センチの大作は、空間に入って正面の壁の前に飾られます。どの絵も、天井から下げるためには、壁際のピクチャーレールと照明の配線ダクトを併用します。
そして、展示会場を縦にカーブを描いて、鉄柱が連続するのは、木立と見立てています。この木立が、展示空間の中にさらに結界をなすものと考えます。それは、自然を受容する神聖な場から、東京のビル群を高みから見下ろしつつ、会話をするもうひとつの神聖な場への結界といってよいでしょうか。
鉄柱は幾何学的に計算されて並び、傾いているために、それぞれの間はある方向からしか通り抜けられません。3つの間隔毎に、立木仏としての、「裸婦」の作品群が天井から下げられます。
「裸婦」は、遠景としては木立に遮られて、全容を見ることができません。近くに寄って、初めて鑑賞することができる配置になっています。
木立の結界を抜けて、空へつながる窓辺へ出ると、テーブルを囲んで会話をするスペースがあります。窓辺に「花鳥」の作品群が並びます。
それぞれの作品には、スポットライトが当てられて、外からの光によって画面が遮られることのないようにします。(外窓面は概ね北向きにあるので、直射日光が絵に当たる可能性はほとんどないと思われます。周囲のビル外壁に反射した光が入らない限り。)
アイディアは以上です。
すっきりとしていて、会場全体が、和を感じさせるような構成になればよいと考えています。
(なお、会場の平面図を取り寄せることは可能でしょうか。できれば、照明の配線ダクトも図の中にあればありがたいです。)

展示空間


長らくお待たせいたしました。展示空間のイメージ1です。
説明は今晩詳しく書きますが、海野さんの「結界」というコンセプトを、私たちなりに空間化したものです。

2011年2月10日木曜日

画家海野次郎―その人となり

半プロフィール
画家海野次郎の絵に出会ったのは、2005年の三鷹の画廊での個展でした。学窓のネットワークから案内があり出かけました。驚いたのは、水墨画がいわゆるイメージした水墨画とは違っていたことでした。この線はなんだろう、と思うくらいのインパクトと抽象で迫ってくる水墨の世界はなんともいえず、考えてしまうほどでした。
「間」なのかと思いを回らしながら。
海野次郎画塾に通うこと5年、「じぶつ」を見ながら水墨画を描いてみると、「間」は絵の構図の中の余白ではなく、その物との「間」であったりもします。と私なりの、思いです。描いていると頭で考えていたのとは違う変化に気がつくのです。
画塾では、茗荷、殻つきピーナッツ、流木、石、野のゆり、秋草、すすき、鯛、柳かれい、干し柿など、モチーフは多様ですが、ユニークです。それぞれと対話があるのです。
敢えて、ここで、山水、裸婦が中心にあるというのは、「人間とは、何なのか」という問いかけをしながら、常に自然や人との対話が彼の中に存在しているのではないだろうかと思います。根源的な問いなのではないだろうかと思うのです。

2011年2月9日水曜日

神庭・御嶽(うたぎ)としてのギャラリー



八重洲ブックセンターのなかのギャラリーを下見した際、Kさんがパネルの後ろや荷物の中をかき分けて全体像を探っていましたよね。あの時あそこの場所は結界だと思ったのです。森の中の結界です。

巨大な本の森の中をかき分けて進んだ中に、ポッカリと開いた空間。神庭、御嶽、あの内外のガラス面は結界を形取っていると思ったのです。
東京という都市の中の結界です。

立ち木仏というのを知っていますか? 江戸時代の円空仏やその祖形と考えられる奈良時代の行基に関連しての仏像が知られています。それは自然に立っている樹木の中に仏を見るという行法とも考えられます。

裸婦像はそうした立ち木仏として、結界の周りに立つべきではないか?
その奥に御嶽のイビ石や依り代としての岩のように山水図を持ってこれないかと考えています。

山水図には画面の中に「間」があるのでこれを「間」的に処理する必要はないかもしれません。
一方、裸婦図には「間」が意識されていませんので、逆に空間的な「間」を設定する必要があるのではないかと考えています。

花鳥図はブッシュです。まぁ、この中で休んでお話でもしましょう。

などと、かってにイメージしていますが、いかがでしょかね?

2011年2月8日火曜日

山水と裸婦

展示の空間を考えるにあたって、それぞれの絵画がその周囲に何を求めるか、を問いかけることが重要なのかな、と思います。画面の中の「間」を感じ取ることによって、外に必要な「間」を生み出していくことが私のやるべきことでしょうか。

山水については、絵画自体に様々な「間」が存在することは明らかだと思うのですが、紙のほぼ中央に描かれる、裸婦については、どのように「間」を捉えるべきか、考えています。

縦長の媒体に描かれていることを考えると、作品=人間と考えて、会場を歩いていただくように配置するのがよいのでしょうか。

山水は山=鉛直ライン、水=水平ラインが組み合わさることによって、海野さんの内面の風景が示される、建築図面でいえば「断面図section」の役割を担うものかもしれません。

切り取った断面ですから、切り取り線を少しずらすことによって異なった様相を呈します。それらをレイヤーをなすように平行に配置し、積分すると全体を捉えることができる、という考えに基づいて展示空間をつくることもイメージできます。

単純にイメージすると、山水と裸婦は対称をなすように存在しますが、そこに花鳥がどのように入り込んでくるのか、楽しみです。

2011年2月6日日曜日

山水シリーズ

墨を摺り始めました。手を動かすと、とたんにいろいろと動き出しますね。

今回展示したいと思っている絵画ですが、まずは私の絵画のだいたいのところを見てください。

せせらぎの里美術館 会場風景


次に、昨年やってみて、そこで止まってしまった山水画を見てください。

ギャラリー門 会場風景

これの、もっと大きな物を描きたかったのですが、これでは駄目だったのです。


そこで、今考えているところを、デッサン段階ですがお見せします。
縦140センチのつもりです。とすると、横が280センチくらいになりますね。これが一番大きな作品に成ると思います。

1/16サイズなのでこのままというのではありませんし、描いているうちに変わって来ると思います。

本当は、もっと長くしたいのですが、いまのところ描く場所がないのであります。


後は、全紙の70×140センチの山水画が幾つか加わる予定です。

ただし、まだ計画段階です。取り敢えずの構想です。