八重洲ブックセンターのなかのギャラリーを下見した際、Kさんがパネルの後ろや荷物の中をかき分けて全体像を探っていましたよね。あの時あそこの場所は結界だと思ったのです。森の中の結界です。
巨大な本の森の中をかき分けて進んだ中に、ポッカリと開いた空間。神庭、御嶽、あの内外のガラス面は結界を形取っていると思ったのです。
東京という都市の中の結界です。
立ち木仏というのを知っていますか? 江戸時代の円空仏やその祖形と考えられる奈良時代の行基に関連しての仏像が知られています。それは自然に立っている樹木の中に仏を見るという行法とも考えられます。
裸婦像はそうした立ち木仏として、結界の周りに立つべきではないか?
その奥に御嶽のイビ石や依り代としての岩のように山水図を持ってこれないかと考えています。
山水図には画面の中に「間」があるのでこれを「間」的に処理する必要はないかもしれません。
一方、裸婦図には「間」が意識されていませんので、逆に空間的な「間」を設定する必要があるのではないかと考えています。
花鳥図はブッシュです。まぁ、この中で休んでお話でもしましょう。
などと、かってにイメージしていますが、いかがでしょかね?

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