2012年5月7日月曜日

会場設営の打合せ


 本多図夢建築デザイン事務所の本田氏と小巌氏、AS-planの渡邊氏と八重洲ブックセンター喫茶ルームで待ち合わせて、八重洲ブックセンターギャラリー会場設営の提案を受ける。



 この後会場を実地下見して検討を加える。共通認識が少し進んだ感じがする。
共同制作をすると、こちらに無いアイディアが出てくるのが何といっても愉快だ。



2012年5月3日木曜日

写真集 2011八重洲ブックセンター

友人のT氏が、昨年の個展会場を訪れた時の写真を元に、アルバムを作ってくれた。これが面白くて、いろいろと示唆に富んでいる。

並べた絵画作品をそのままには見ないで、震災で崩れた壁に気付いたり、窓の外や、会場の作りを眺めたりとかで、訪れた人の視線になって、会場自体を楽しんでくれているのがわかる。
個展を訪れるということや、会場を作ることの意味を改めて意識させられた。

下のURLからリンクしています。購入も出来ます。



2012年4月7日土曜日

2012年八重洲ブックセンターギャラリー個展・会場制作を本多図夢氏にお願いする

2012年八重洲ブックセンターギャラリーの会場制作を本多図夢氏(本多図夢建築デザイン事務所)にお願いをして、引く受けて頂く事になった。

今日は初めての顔合わせで、この水墨思想展の意味や思いを聞いて頂いた。
私の一方的な話で終わってしまったので、まだ会話を続けなくてはならないだろう。
感性がぶつかる所までいかないと、面白い場になってこない気がしている。



2012年4月1日日曜日

2012水墨思想展

2011年の八重洲ブックセンターでの個展を終わってから、日々に追われて何もできないでいた。
2012年の正月を越えてもバタバタとしているのは相変わらずだが、個展のスケジュールが決まってきた所で、やっと2011年の整理をするようになってきた。
そうした事をふまえて、今年の個展へ向かっての有り様をまたこのブログに書いて行くつもりだ。

今年の個展は昨年と同じ八重洲ブックセンター ギャラリーで9月17日(月)〜23日(日)の予定で開催される。

2011年7月4日月曜日

6月26日の会場設営と搬入風景


会期間際になってどんどんスケジュールが立て込んでしまい、このブログに描くことができなくなってしまいました。事後報告ですが、6月26日の一日を写真で追ってみます。


グリッドフレームのスタッフ達によって手際よく会場の設営が行われて行きます。


予定を大分早めて会場の設営は終了。さすがにプロの力だと感心。グリッドフレームスタッフ達との記念撮影。


途中ユーストリーム放映を行いました。増山氏が機材を持ち込んでくれて、奮闘。現在も「DONGEAN」でユーストリーム内で検索頂ければ、この時の映像を見る事ができます。




会場の展示が終わったのは7時前でした。グリッドフレーム田中氏も残って展示設営をしていただきました。八重洲ブックセンター川原氏も加わって記念撮影。



 完成した会場風景を見ていただきます。





2011年6月23日木曜日

読売新聞で報道されました

読売新聞の6月22日都内23区版に今回の展覧会の記事を載せていただきました。
ネットのほうが見やすいので、URLを添付します。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tokyo23/news/20110622-OYT8T00080.htm

2011年6月20日月曜日

会場チェック

 6月19日に会場設営に当たる田中氏以下のグリッドフレームのスタッフ達が会場チェック。ユーストリーム放送に当たる増山氏、AS-plan渡邊嬢が試験放送を終えました。

20日には海野がグリッドフレームの設計図を見ながら会場チェックを終えました。

いよいよ最終段階です。

2011年6月12日日曜日

ユーストリーム

増山氏の尽力でユーストリームの番組がいよいよ形として現れてきました。
覗いてみてください。6月26日の放送もお楽しみに。

http://www.ustream.tv/channel/%E6%B0%B4%E5%A2%A8%E6%80%9D%E6%83%B3-2011

実は、私はまだ全体を良く理解していないのですが、ほかの人の手を通して、違った面が見えてくるのが面白いです。

2011年6月1日水曜日

自然の美しさについて

海野次郎さんは、奥多摩に暮らしている。海野さんは、奥多摩の自然を描く。だが、自然は美しいというより、いまわしく恐しいものだ、と語る。

自然の中で暮らす、とはこういうことだ。自然は風景として眺めていればよいものではない。自然とは闘う相手なのだ。

自然が美しいのは一瞬だ、と海野さんは語る。その自然を描く。

奥多摩へ絵を描きに出かける人と根本的に違うのは、この時間性ではないだろうか。観照としてではなく、実践的に関わりを持つことによってしか、この一瞬には出会えない、ということではないだろうか。

そのようにして見い出す美は、文人画家の描く美とは異質なのだろう。おそらくは、宮本武蔵のような武芸者の描く美に近いのではないか。


私は20代の頃、ヨーロッパを数百キロ歩いて旅をした。歩いて旅をすることによって、道端で出会う雑草までもをじっくりと見つめることができるのではないか、と考えたからだ。

しかし、目的はすぐに「明るいうちに次の町へたどり着くこと」にすり替わって、足元へ目線を落とすことすらためらわれるようになった。

歩き終えて、急行列車に乗り、窓から眺めを見たときに初めて、飛んでいく木々の一本一本を見逃すまいとしている自分に気づいた。

愚かな話である。だが、この経験は、自然を美しいと思うのは、自然と直接に関わりを持たないからだ、ということを教えてくれた。


海野さんの水墨画にある、自然の美しさは、上の話とは全く別のものである。それは、生きるために「必要」なものの持つ美しさではないだろうか。

2011年5月23日月曜日

ぎっくり腰

昨夜、ユーストリームを技術的にサポートしてくれることになった増山氏が、試験的に放送を流してくれていた。さすがにしっかりしている。

額工房Art Willからは、張り込みようのパネルの用意が出来たと。表具師・向南堂からは、屏風ができ上がったと連絡も来た。

AS-planの集まりも有った。

多くの人の協力で、いよいよ展示会の形が姿を現してきているのだが、こちらはまだ絵の最終的な構成が見えていない。

だというのに一週間ほど前にぎっくり腰をやってしまい、今日やっと画室に上がる事ができたところだ。こんなことやっている場合ではないのに。

2011年5月16日月曜日

ニュースリリース

ニュースリリース発表です。


いろいろのやり取りがあり、難航しましたが、やっとニュースリリースの発表です。

文字にする事で、改めていろいろの問題を詰めることになったのは大事な経験です。

つい、こういうことは等閑にしやすい私としては特に。

2011年4月22日金曜日

自然と都市

 展示会までの時間が迫ってきたので、グリッドフレームの田中、久保氏、AS-planの渡邊氏と会合を持つ。
 少し遠慮を取り払いつつと云ったところだろうか。なにしろ、やるべきことはやらないとならないし。

 都市と田舎(自然)について少し話をする。
 東京駅の前に、グリッドフレームによる空間を出現させるということの、根本的な意味だろう。

 私は山の中に住んでいるが、一番注意しているのは都市の消費的な価値観で自然を見ないことだ。
 積雪、崖崩れ、吹き荒れる風、そうした事どもに恐れつつ、敏感に反応して暮らすことが、奥多摩に住む価値なのだ。東京という自由空間へは3時間というフィルターを通過してでかける。
 もちろん厳しい自然は、美しく、豊かな自然をも与えてくれる。しかし、それは一瞬のことなのだ。

 田舎の地域社会は安定的で束縛の強い社会だ。
 それに反して、町や都会は自由を謳歌する空間であったはずだ。
 しかし、貨幣(マネー)がそもそも自由のための道具であったにも関わらずに、人を束縛する道具に成り果てていることと同じように、合理化、効率化されることで、都市もまた自由空間であることを失っている。

 場は呪術者によって再生されなければならず、社会もまた再生されねばならない。そうした呪術者を芸術家と呼ぶ。

2011年4月17日日曜日

2011年4月11日月曜日

案内状を入稿しました

 永らくこのブログの更新を中断していました。
東日本の大震災とそれに続く余波の中で、いろいろのことを考えていました。平静であろうと思ってはいても、心の深いところで大きな衝撃を受けていることがわかります。

今できることは、事態に対応しながらも、たんたんと与えられた仕事を進めて行くことだろうと言い聞かせています。
大切なのは、人間として生きることなのだと思うのです。

今日、案内状の入稿をしました。

2011年3月7日月曜日

課題について

ご感想、ありがとうございます。

確かに、絵の裏側については意識しなければなりませんね。額など、どのようなものをお考えなのか、をうかがって、お互いに意見を出し合って発展させていくのがよいと思います。

また、窓際の展示については、現場でなくとも実験は可能なので、早いうちにやってみたいと思います。今日みたいな雪の日は、窓際の展示もよいものでしょうが・・・。展示のころは梅雨の時期ですね。快晴を想定して、実験を進めます。

2011年3月5日土曜日

会場デザイン いいですね

 アイディア気に入りました。本の結界というのは面白いですね。
 スッキリとしたデザインなので、ちょっと驚いています。どちらかというと、グリッドフレームのデザインは物量感で迫っているように思えたからです。楽しみです。
 会場の形が見えてきた事で、こちらの制作も刺激を受けます。

 ちょっと気になる点を幾つか挙げておきます。
 書店側ガラス壁(本が並んでいるのだが)を通して中を見た時に、絵画のパネルの後ろ面を見せる事になりますね。
 となると、このパネルの背面処理について考えておく必要があるという事ですね。

 それから、外壁ガラス面に絵を並べた時、逆光になって絵が見えないという事はないでしょうか?(照明でカバーするとの計画のようですが) 
 この2点が気になっています。


 絵画見本を届けると約束しながら、実現できないでいます。思いの外に難航しています。
 このブログに挙げたのはアイディアの段階の物だったのですが、実際に作品に入ると二転三転して、思わぬ方向へすすんでしまい、正直何がなんだか分からない状態で、方向性を見失っています。
 なんとか、近日中に一点でも作品をお見せできるようにと頑張っております。ので、今暫くお待ちください。

2011年3月4日金曜日

展示空間のアイディア

「巨大な本の森の中をかき分けて進んだ中に、ポッカリと開いた空間」
本屋の売り場を森と感じていただくためには、売り場と展示空間の境界のガラス面に棚をつくり、イメージ図左側のように本をならべます。このような並べ方であれば、私たちで持ち寄っても十分な量を集めることができると思います。
本の森を抜けて、ポッカリと開いた空間には、神聖な場としての「山水」が配置されます。「山水」の展示は、展示会場の左側にに配置され、ゆったりと天井から下げられます。縦140センチ×横280センチの大作は、空間に入って正面の壁の前に飾られます。どの絵も、天井から下げるためには、壁際のピクチャーレールと照明の配線ダクトを併用します。
そして、展示会場を縦にカーブを描いて、鉄柱が連続するのは、木立と見立てています。この木立が、展示空間の中にさらに結界をなすものと考えます。それは、自然を受容する神聖な場から、東京のビル群を高みから見下ろしつつ、会話をするもうひとつの神聖な場への結界といってよいでしょうか。
鉄柱は幾何学的に計算されて並び、傾いているために、それぞれの間はある方向からしか通り抜けられません。3つの間隔毎に、立木仏としての、「裸婦」の作品群が天井から下げられます。
「裸婦」は、遠景としては木立に遮られて、全容を見ることができません。近くに寄って、初めて鑑賞することができる配置になっています。
木立の結界を抜けて、空へつながる窓辺へ出ると、テーブルを囲んで会話をするスペースがあります。窓辺に「花鳥」の作品群が並びます。
それぞれの作品には、スポットライトが当てられて、外からの光によって画面が遮られることのないようにします。(外窓面は概ね北向きにあるので、直射日光が絵に当たる可能性はほとんどないと思われます。周囲のビル外壁に反射した光が入らない限り。)
アイディアは以上です。
すっきりとしていて、会場全体が、和を感じさせるような構成になればよいと考えています。
(なお、会場の平面図を取り寄せることは可能でしょうか。できれば、照明の配線ダクトも図の中にあればありがたいです。)

展示空間


長らくお待たせいたしました。展示空間のイメージ1です。
説明は今晩詳しく書きますが、海野さんの「結界」というコンセプトを、私たちなりに空間化したものです。

2011年2月10日木曜日

画家海野次郎―その人となり

半プロフィール
画家海野次郎の絵に出会ったのは、2005年の三鷹の画廊での個展でした。学窓のネットワークから案内があり出かけました。驚いたのは、水墨画がいわゆるイメージした水墨画とは違っていたことでした。この線はなんだろう、と思うくらいのインパクトと抽象で迫ってくる水墨の世界はなんともいえず、考えてしまうほどでした。
「間」なのかと思いを回らしながら。
海野次郎画塾に通うこと5年、「じぶつ」を見ながら水墨画を描いてみると、「間」は絵の構図の中の余白ではなく、その物との「間」であったりもします。と私なりの、思いです。描いていると頭で考えていたのとは違う変化に気がつくのです。
画塾では、茗荷、殻つきピーナッツ、流木、石、野のゆり、秋草、すすき、鯛、柳かれい、干し柿など、モチーフは多様ですが、ユニークです。それぞれと対話があるのです。
敢えて、ここで、山水、裸婦が中心にあるというのは、「人間とは、何なのか」という問いかけをしながら、常に自然や人との対話が彼の中に存在しているのではないだろうかと思います。根源的な問いなのではないだろうかと思うのです。

2011年2月9日水曜日

神庭・御嶽(うたぎ)としてのギャラリー



八重洲ブックセンターのなかのギャラリーを下見した際、Kさんがパネルの後ろや荷物の中をかき分けて全体像を探っていましたよね。あの時あそこの場所は結界だと思ったのです。森の中の結界です。

巨大な本の森の中をかき分けて進んだ中に、ポッカリと開いた空間。神庭、御嶽、あの内外のガラス面は結界を形取っていると思ったのです。
東京という都市の中の結界です。

立ち木仏というのを知っていますか? 江戸時代の円空仏やその祖形と考えられる奈良時代の行基に関連しての仏像が知られています。それは自然に立っている樹木の中に仏を見るという行法とも考えられます。

裸婦像はそうした立ち木仏として、結界の周りに立つべきではないか?
その奥に御嶽のイビ石や依り代としての岩のように山水図を持ってこれないかと考えています。

山水図には画面の中に「間」があるのでこれを「間」的に処理する必要はないかもしれません。
一方、裸婦図には「間」が意識されていませんので、逆に空間的な「間」を設定する必要があるのではないかと考えています。

花鳥図はブッシュです。まぁ、この中で休んでお話でもしましょう。

などと、かってにイメージしていますが、いかがでしょかね?